日々の 暮らしの 小さなしずく
Copyright texts and images, Mori Yoshida, 2009-2015
いま
IMG_1421.jpg


いつのまにか
2013年の最後の日になっていました。

毎年思うことだけど、
本当に年末のこの時期の空気が大好きでしょうがありません。
ずっとずっとこの空気のなかで
じっとなにかを見つめていたくなります。
時の流れる感じとか、空気の色とか、
夜がやってくる感じとか。
なにかがどんどん去っていって、
新しい何かが生まれるときのような気配に満ちている。


たまに仕事が早く終わって、
すばらしく美しい夕焼けを見たときなど
いつもこんなすばらしいものを
見逃してしまっているのかと思います。

日々のなかに、神さまがいる。
そのことを、
たまにすごくきれいなものを見て、
まぶたの上をきれいな雨が流れ落ちるみたいに
また何度でも気づくことがあればいいと思う。



今年は、
ずいぶん遠くに出かけたような気がする。
そのおかげで、すばらしい方たちに出会うことができました。
ほんとうにありがとうございましたという気持ちです。

いつのまにか
今の場所でうんとがんばってうまくやっていくことが
なにか人生のいちばんの目的みたいになっていたのに、
どういうわけか、ふっと外に飛び出すことができた。
自分のなかに
そういうわけのわからない力が残っていたことに、
本当に感謝したい。

ずいぶん前に、小さな子どもを支援する仕事を
していたときがあって、
そのなかのひとりの子が本当に算数がよくできて、
その子がどうやって問題を解いたのかを聞いていると、
数について
はじめていろいろなことがわかった気がした。
そして私が今までやって来たことは
単なる反復運動みたいなものだったのだなあと気づいた。
ここでかけて、そして足す。その繰り返し。

私自身の毎日も、いつのまのか
そんなふうになっていた。
いまの仕事を120パーセントやりきって、
くたくたになって家に帰って、少しだけ眠る。
すばらしいけど、
何か自分を少しずつ落としてきているような
そんな気もしていました。

しあわせって本当に、
やっぱりその人だけの心のかたちの
しあわせがあると思う。
なにか時代の夢のようなものにくるまれて
一生を終えるのも、
もしかしたらしあわせなことなのかもしれないけれど
私はやっぱり
自分だけのささやかな生きるよろこびのような、
そんなしあわせに気づいていきたい。
遅かったかもしれないけれど、
生きているうちにはじめられたのだから
間に合ったのだと思いたい。


はじめるときはそんなたいそうなことは
全然思わなかったけど、
とにかく夏に大阪のソーイングギャラリーの展覧会に
参加することにしました。
はじめは搬入のときに行ってすぐ帰るつもりでいましたが、
ふと思ってしばらく滞在することにしました。
ちょうど河合隼雄先生の命日に近かったので、
先生のところに行って手を合わせて来ようと思ったのが
そのきっかけです。

もうずいぶん前に
いろんなことがうまくいかないときがあって、
そのときに河合先生の本を何度も読みました。
よしもとばななさんとの対談の本や、「こころの天気図」という
文庫本を何度も読んだ気がする。
あのとき本を通じて河合先生やばななさんがしてくださったことは、
本当に一生忘れられません。


しかしながら、本以外のことになると
河合先生についてはほとんど何も知らず、
唯一わかる、京都にある河合隼雄財団というところに行ってみようと
思いました。
ちょうど京都が祇園祭の山鉾巡行の日でした。
市役所前ですこし山鉾を見てから、
北に向かって歩きはじめました。
いま思えばあんなに長い距離を
どうしてバスを使わなかったのかと思うけど、
そのときはどうしても歩きたかったのだと思う。

猛暑の中をずっと歩いて、
どうやらこの辺だというところに来たのですが、
今ひとつここだという看板もありません。
まわりは普通の住宅街で、お店も見当たらない。
困って行ったり来たりしながらぐるぐる歩いていると、
おばさんがひとり歩いてきたので道を訊いてみました。
そしてそのおばさんといろいろ迷ったあげく
(川井さんという家に行ったりした)
やはりわからず、
昔からある小さな酒屋さんで訊くとよいと
その場所を教えてもらい、別れました
(このおばさんとは、私がものすごく迷って歩いているうちに
いつのまにか別れてしまっていて、お礼もしっかりできなかったことが
本当に申し訳なかったです。おばさん、ありがとうございました)。

小さな酒屋さんは、酒屋さんというより
元・酒屋さんというような店構えでした。
こんにちはと声をかけると
やせて目の大きなおじいさんが、
思い切り不審そうな顔で出てきました。
私が、河合隼雄財団という場所を探しているのですが、と言ってしばらく
説明していると、
だんだんと顔が明るくなって、河合はんですか、河合はんのお家でしたら、
こう行ってああ行ってお地蔵さんのとこを曲がってひとつ目のとこですわと
うれしそうに何度も教えてくれました。
そのほかにも
早口で河合先生のことをいろいろ教えてくださったのですが、
流暢な京都弁でうまく聞き取れないところもありました。
それでも河合先生が
ここの人に愛されてきたのだなあということがわかり
しみじみとうれしく、丁寧にお礼を言って店を出ました。

そのおじいさんの言う通り、
お地蔵さんのすぐはじめのところに河合先生のお家はありました。
それはさっきいちばんはじめに着いていたところでしたが、
河合という表札が出ていることに気がつきませんでした。
財団というので、事務所のようなところだと思って、
素通りしてしまっていたのでした。
おそらく河合先生の息子さんのご自宅だったのだと思います。

最高にあやしいひとに見えるだろうなと思いつつも、
そっと手を合わせてその場を後にしました。


酒屋のおじいさんが言っていたことで気になったのは、
河合先生は奈良の家は売ってしまって…
というところでした。
だとしたら、奈良に行っても
もう何もないのかもしれない。
そう思って2日後に奈良に行くことを
やめようかとも思いましたが、
なんのためにここに来たのかと思い、
なにもなくてもいいから奈良に行ってみようと思いました。

調べてみると、河合先生のご自宅は
奈良の大きなお寺のすぐそばにあるようでした。

駅でふと目が合って
白いりんどうの花を二枝買いました。
りっぱな菊の花束ではないけれど、
白い花とりんどうが大好きなので、
これでいいのだと思い歩きはじめました。

大きなお寺をぐるりと囲む土塀にそって歩いていると、
この道を河合先生も夜遅く歩いたのかなあと
ふしぎな気持ちになったのをおぼえています。

どうやら地図上ではここだという場所に
たどり着いたものの、
そこは砂利が敷き詰められた駐車場になっていました。
そうか、やっぱりあのおじいさんの言っていたことは
本当だったのだな、
お家は売ってしまったのだ、
池のあるなつかしい日本家屋のようなお家は
もうないのだなという思いが
ぐるぐると駆け巡って、
それでもその駐車場の脇に花を置いてだけいこうと
決めました。

しかし、花だけ置いてみるといかにも不自然で、
まるでこの駐車場で悲しいことが
あったようにも見えます。
これでは逆に迷惑かもしれないなと思い、
まわりをもう少し見てみようと思いました。

するとふと目の前に
奈良大学臨床心理研究所という看板が目に入りました。
もしかしたら、なにかご存知かもしれないと思って
建物の中に入ってみました。
ふしぎそうに出てきた女性の方に、
河合隼雄先生のご自宅を探していますとお伝えすると、
少し笑って向かい側を指差されました。
何かご関係が?というとその方は首を振っていましたが、
お礼を言って建物を出ました。

ちょうど目の前に、河合先生のご自宅はありました。
表札も河合隼雄となっています。
ちょうど私は家の裏側に着いていて、
その前に広がる駐車場を家だと勘違いしていたのでした。
絶望して帰らなくて、本当によかったです。
そのときは心からいろいろなものに感謝しました。

お家をしばらく見ていると、
どうもだれか人が中にいるようでした。
迷いましたが、思い切って呼び鈴を鳴らしてみると、
思い切り不振な顔の奥様が出てきました。

河合先生にはなんの面識もない一読者ですが、
お花をあげに来ましたというと、
よかったらお上がりくださいとお声をかけていただきました。
(これは今でも奥様は本当によくあげてくださったなと思う。
 私は歩いてきて汗だくで、
 しかも黄色いノースリーブの服を着て大きなリュックを背負っていた。
 どうみても弔問客とは言いがたい格好でした。)
 
そして河合先生のご仏壇のある部屋に通していただいて、
お線香をあげてくることができました。
手を合わせているときは、
どこか祈っているのは私だけではなく
河合先生を信頼していたいろんな知らない方たちの分も祈っているような、
なのにひたすら無我夢中なような、
そんな気持ちでした。
悲しいという気持ちはまったく湧かず、
ただ、いや、先生ほんとうにありがとうございました
という気持ちだけでした。

お線香をあげてから部屋を出て、
奥様と少しお話をしました。
その後すぐ帰ろうとすると、
あなたなにかうちの人の本持って帰りませんか、
何がいいですかとお声がけいただきました。
実はほとんど河合先生の本は持っているのですが、
ほんとうにうれしくて、何でもうれしいですと答えたところ、
うちの人は本当に多岐に及んでいるからねえと
河合先生と村上春樹さんの対談の文庫本をいただきました。

ふしぎなことに、
私はいつも遠くに出かけるときに
本をお守りに持って行くことが多いのですが、
今回の滞在で
自分の本棚から持って行こうかなと目が合ったのが
この本でした(ハードカバーだったので結局持って行かなかった)。

思い切り感動しながらも
なんだかふしぎだなあと心のなかで思っていたら、
村上さんもきのう来てくださったのよと
奥様は普通に話されました。

その瞬間、ふっと前を
村上春樹さんが通り過ぎて行ったように感じました。
いつかきっと出会えるな!とも感じました。


世の中は
ふしぎな糸でつながっている、
そんなふうに思えた一日でした。

そして、どんなに失望することがあっても
その人が生きているうちに会いに行こうと
なぜだか思いました。
あの夏の日、かたつむりのように
ひたすら河合先生のあとをたどっていたら
自然とそんな気持ちが湧いてきました。


いまを生きるって何なんだろうと
ときどき思います。
つばきの花が枝の根元から順番に咲いていって、
次の週にはもうくしゃっと枯れてしまっている。
ふしぎだなと思う。

あのとき、
本当に暑い中をたくさん歩いて
本当によかったなあと思う。
ものすごい後ろ向きの旅だったのに、
どこかあれが
いまを生きるということだったような
気がしています。







日々 - -
<< NEW | TOP | OLD>>